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2006/12/31(日)
『歩きながら考えたこと』

ジムが年末年始の休みに入っていることもあり、昨晩は1時間ほど散歩してきました。
「歩く」という行為は不思議と脳を刺激します。いつもより少し早足で、寒さと戦いながら歩いていると、いろんなことについて考えました。


大学時代、夏の山で一晩過ごす…そんなことを年に1回やっていました。装備はいたってシンプルです。お湯の入った魔法瓶、インスタントコーヒーだけです(蚊取り線香とか敷物とかもありますけど)。手を伸ばせば星に手が届きそうな夜空、あとは真っ暗な世界。そこでコーヒーをすすりながら、じっと自分自身と向き合う。。。音もなく、灯りもない、もちろん携帯電話もテレビ、ラジオもない。そういう自分ひとりの世界で一晩ずっと過ごすんです。不思議なもので、自分自身と対話していると、時間なんてあっという間に過ぎてしまいます。


「歩く」ことで、それと近い体験ができます。実際に体感としての1時間は非常に短いですしね。


果てたなら

どれだけ楽と思いしも

それでも生きる

自分以外の

誰かのために


今回は五行歌口調です。字数関係なく五行で詠む。それが五行歌ですが、短歌や俳句より制限がゆるいのに、それでもかなり悩みます。奥が深いですね。


続きを見る前に、まずこっちをクリックしてくださいねー!
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大学で「いのちの大切さ」を学生さんたちとともに考えているわけですが、歩いている最中、ふと


「いま、ここで死んだら楽になるだろうなあ」


と不謹慎なことが頭をよぎったのです。


 


 


 


別に自殺したいとかそういう願望はありませんので、ご安心を。たとえば、車が暴走してきて自分を撥ねたとしても、「まあ、それはそれでいいか」みたいな感覚です。この年で「生きることに疲れた」なんて、さすがに思わないですが、自分が歩む人生の険しさを思うと、ごくまれに弱気になることもあります。


そう思う気持ちをもちつつ、「孤独であっても、周りに誰もいなくても、夢を見続けることができるか?」(中学のときに愛読していた某小説の受け売りですけどね)を自分に問いかける心もあって、そういうpositiveとnegativeの葛藤があります。もちろん「いつも夢を見続けることができるか?」という己の問いに「もちろん、見てるさ!忘れてないぞ!」と(心の中で)大声をあげるんですけどね。


夢を見続けるためには、「生」を実感できる瞬間…そういうものが必要かなと思っています。
上で書いた山での一晩では、闇に負けそうになる自分にとって、喉を通るコーヒーの熱くて苦い感覚が「今、ここに自分が生きている」ことを実感させてくれました。そして昨日は、焼き鳥屋さんからやってくる焼鳥の香ばしい匂いと、スナックから漏れてくるおじさんとホステスさんの笑い声、カラオケの音が「生」を感じさせてくれました。そんな雑音が、


まだまだ、自分がやりきれてないことがいっぱいあるじゃないか。
まだまだ、自分が観てない世界がいっぱいあるじゃないか。
まだまだ、自分が伝えたいことを伝えきれてないじゃないか。
まだまだ、お世話になった人たちに恩返しできてないじゃないか。
まだまだ、死んだら悲しむ人がいるじゃないか。
まだまだ、伝えたい誰かのために祈りたいことがいっぱいるじゃないか。


そんな「まだまだ…」をいっぱい運んでくれました。よし、まだまだ頑張れる。Energy Charge OK!!
年末のこの時期に、改めて「生きる」ことについて思い返して、前向きになったMt.sideでございました。

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2006/12/31(日) 13:55:33 | | [ 編集]












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