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2007/06/18(月)
『戦争が引き起こした沖縄の悲話』

沖縄に行ったのは、一度だけ。大学4年の夏でした。お遊び観光ではなく、中学生・高校生を対象にした学習キャンプの引率です。
ハンセン病の療養施設の訪問、読谷村の副村長さんに案内していただきチビチリガマ(住民139人のうち82人が集団自決を遂げたという防空壕)、ひめゆりの塔等を見学させてもらったのです。
一番印象に残っているのは、「チビチリガマ」ですね。戦時下の様子は、文献や映像資料等でだいたいのイメージはしていた(はず)のですが、やはりその場所に来てお話を伺うと、その方々がどんな思いをされていたのか、どれだけ恐怖だったのだろうかという当事者視点の部分がより鮮明になります。
ああいう場所ですと、声だして笑ったり、騒いだりした中学生・高校生はさすがにいませんでしたね。引率・主催者側が何も言わなくても、雰囲気がそうさせない…そういうものです。

インターネットで「チビチリガマ」と検索してみると、こんな歌が見つかりました。


ちびちりがまの歌
作詞・作曲PIKI

19の娘たちは、互いの胸をさして
母は、子供の首を切って、最後に自分の体に火をつけた
残ったものはただの暗闇、残ったものはただの暗闇で

ほんの50余年前の、珊瑚の綺麗な島
デイゴの花咲く春の頃4月2日の朝の話

戦がこなければ、戦がこなければ
消えることのなかった83の命

自決壕っていうけれど、自分で決めたわけじゃない
泣きながら、泣きながら暗闇に消えただけだ

戦争ってなんですか、戦争ってなんですか
戦争てなんですか、戦争ってなんですか


追記の引用記事は、ひめゆり学徒隊が看護にあたった病院壕跡の一般公開に関するもので、チビチリガマとは違うでしょうが、おそらく当時の沖縄はどこであっても辛い現状を強いられたことでしょう。もし、沖縄にいく機会があれば、お気楽・極楽観光…というだけではなく、こういったところも巡りたいものです。 「戦争を知らない子どもたち」な自分たちです。戦争の愚かさや哀しさを後世に残し、平和を築いていくためにも忘れてはいけない過去の事実だと思います。
そして、この戦争を経験された方々にとっては、過去の事実ではなく、今も続く事実なんですよね。


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ひめゆり病院壕跡18日から一般公開

 太平洋戦争末期に地上戦が繰り広げられた沖縄で、日本軍に動員された「ひめゆり学徒隊」の女子生徒らが負傷兵の看護に当たった沖縄県南風原町の沖縄陸軍病院壕(ごう)跡が18日から一般公開される。現地で17日、記念式典が開かれた。
 病院壕跡は、沖縄戦の戦跡を後世に伝えていこうと、同町が保存整備。激しい雨が降る中、壕の外で開かれた式典に、旧陸軍病院の関係者ら約100人が出席した。
 病院壕で軍医として傷病兵を治療した那覇市の長田紀春さん(86)は「今日のように雨風の激しい日は、目の前で砲弾が飛び交い爆発した当時を思い出す。病院壕に運ばれてきた負傷兵の無残な姿を思うと今も胸が痛くなる」とあいさつした。
 公開されるのは保存状態の良かった「20号壕」で、高さ、幅とも約1・8メートル、奥行き約70メートル。見学は完全予約制。問い合わせは南風原文化センター、電話098・889・7173。

出所:nikkansports.com

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