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2007/08/20(月)
『個人が引き起こすもの、社会の不備で起こるもの』

いま、裁判所のウェブサイトで、下級裁判所判例集をみています。
いわゆる地方裁判所で行われた判決ですけどね。そういうのをみていると、事件を起こすまでの経緯が垣間見れるわけで、そのときの当事者の様子、心境に感情移入してしまいそうになります。

大分地方裁判所(事件番号:平成19(わ)1)の嘱託殺人に関する案件なんですが、60代後半の男性が、妻、義母を殺害したというものです。義母は重度認知症、妻は欝状態と糖尿病による体調不良を抱え、妻から「お金がなく、ローンも払えず生活も立ち行かない。自分を殺してほしい。そのときはかわいそうだからおばあちゃんも殺してあげてほしい」ということで、その願いを聞き入れ、殺人に至った…というものなんですが。ちなみに、求刑は懲役10年ですが、判決は懲役7年だそうです。

動機にいたる経緯については、もっと細かく書いてあるのでぜひ読んでみてください。端折って書くと上のようになります。
裁判所は、「殺人を引き起こす前に、もっと冷静になって通帳を調べたり、子どもたちを頼ったりすれば、このような悲しい出来事は起こらなかった。非常に思慮に欠ける軽率な犯行だ(大意)」と判決理由で述べています。


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しかし、日々の介護疲れ、日々言われる妻からの殺人依頼、経済的に立ち行かない状況を突きつけられた状態。そんな中で、当事者は客観的になれるものでしょうか。将来を悲観し、自らの命のみならず長年連れ添った身内の命までも断ち切らざるを得ないと判断するまでには相当の葛藤があったと思うのです。もちろん「命を奪った」ことに対する刑事責任は重大なわけですが、いつも思うのは、いろいろな社会資源を使えば、もっと違う結果になっただろうに。。。ということです。おそらく、この被告人は医療や福祉に対する情報がない、あるいはどこに相談したらいいのか分からない、そんな状態だったのだろうと思うのです。そして、地域内に相談できる身近な人がいなかったことで、頭の中でとるべき選択肢が徐々に限られたものになってきたのではないか、そんな風に感じるのです。

福祉における申請主義は、国民が有する基本的人権、あるいは幸福追求権の行使という観点からの発想だと学んだことがありますが、どれだけいいサービス、受け入れ態勢があっても、当の本人がそのことに無知であれば、活用されないのです。まさに絵に描いた餅状態なわけでして、民生委員や福祉行政職員(+浅さまざまなネットワークを行使して)が積極的に地域を周り、積極的にニーズの掘り起こしと啓蒙と適切な助言をしてほしいものです。
とはいえ、福祉行政職員や社会福祉協議会職員は事務処理や書類作成で手いっぱいなことでしょう。適正処遇していくためにさまざまな書類を作成し、客観的事実を明確にしていかなければならないのですが、ソーシャルワークそのものとソーシャルワークに必要な諸手続きを業務上分離できる方策はないものでしょうか。
そういえば、デンマークの福祉に関する文献を読んだとき、「デンマークの福祉行政職員はいつもデスクにおらず、地域に出払っている」という内容のことが書いてありました。もう少し深くデンマークの福祉事務の取扱を学べば、何かヒントがあるかもしれません。

あ、話が判例のほうからそれてしまいましたが、個人の刑事責任を問うだけではなく、福祉の体制(サービスの充実もそうですが、啓蒙や情報提供)に対する不備も指摘されなければ、こういった事件は今後も続いていくことでしょう。そんな風に思いました。

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Mt.side
◆ ともちんさんへ
おひさしぶりです。大丈夫です。自分が書いたのは、物事の一面ですから。他分野の専門の方からしたら、また違う意見がでるのも当然です。そういう議論がいいのです。

ただ、下級審の場合はテレビで見ている範囲ですが、国に賠償責任を負わせるような判決が少なからずありません?そういうのは大抵上級審でひっくり返されるのが常(とはいいませんが)のような気もしますけど。
前例となる判例は、最高裁での結審でないと…ということもありますし、最高裁まで争って…と思うところです。ただ、最高裁は小手先の解釈について判断を下す場ではないので、こういった事件が先例になるようなことはほぼないでしょうね。

だからこそ、自分たちのような研究者や現場で地道に実践されている方々が一歩ずつ努力していくことが必要だと思います。社会福祉は社会改良のための実践学問ですからね。社会に貢献してナンボの世界です。

そういうことを書いていくと、改めて自分も頑張っていかねばと思うわけです。小さくても一石は常に投じていく姿勢で。
2007/08/21(火) 00:35:06 | URL | [ 編集]
Mt.side
◆茉莉花さんへ
殺人そのものは個人の行為ですが、そこにいたる経緯は社会全体の責任でもあるように思います。社会福祉を学び、実践する者としてはやはりそこに焦点を当てていきたいものです。
2007/08/21(火) 00:25:04 | URL | [ 編集]
ともちん
随分と生意気で,sidaさんの気を悪くしかねないかもしれませんが….

裁判官が刑事裁判で行政の不備を指摘することは珍しいことです.三権分立とはいえ公務員という点からは判事と行政府は「同業者」ですし,余りにも露骨な批判では行政に司法が干渉するのかって話になりますし.
もちろんたまに進んだ判事さんに出会えれば言及の機会に恵まれます.

そのような判決がどんどん溜まってきてその考え方が主流になってやっと行政府が動く…かもみたいなところはありますね.

私はもっと社会福祉について国民皆知にすべく敏腕の広告マンを投入して皆知ってる常識にすることがまず先かと思います.不備は皆知無いうちは理解得られにくい…かと.

長々と生意気失礼しますv-29
2007/08/20(月) 23:47:41 | URL | [ 編集]
茉莉花
心中や嘱託殺人もある種の虐待といえると思いますが、虐待事件における判例を見ると個人的責任ばかりを問うケースが多いように感じます。社会福祉制度の不備の改善は進まず、同じような事件が繰り返される…。我が家に障がいを持つ家族がいないのはたまたまだし、高齢社会の現在認知症や寝たきりなどは決して無関係ではない。他人事とは捉えず、国を始めとして社会全体で支える体制が必要だと思います。
2007/08/20(月) 21:32:07 | URL | [ 編集]












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