--/--/--(--)
『スポンサーサイト』
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-)
2008/12/16(火)
『一日で二度』
昨日、学生2名の文章指導&面談をしていました。
その2名に共通するのは、こちらの話に対して何でも「はい」ということです。うなずきの「はい」ではありません。



横山「~ということ。わかった?」
学生「はい」
横山「それじゃ、私が今なんてあなたに助言したのか話してみて」
学生「・・・」
横山「どうした?」
学生「わかりません」
横山「では、何故”わかった?”という問いかけに、”はい”といったの?”はい”といった以上、こちらの伝えたいことが分かったということになるんだよ?」
学生「今までそうやってきたし、誰もそんな確認をしてこなかった」
横山「それで、今まで相手の話をちゃんと理解してこれたの?」
学生「・・・」




いろいろなやりとりがあった中のエッセンスを抜き出して書いていますが、概ねこんな話です。
「分かりませんというと怒られるかもしれない」であるとか、「いい子でいるためには、何でもかんでも”はい”っていっていればいい」等、相手の顔色を伺って(言い換えれば、自分自身を偽って)返事をしてきた積み重ねなのかもしれません。
今の自分なら確認の質問されたときは返答できると思いますが、大学生時代の自分だったらどうだろうか?自分も適当に「はい」といってきちんと理解せず、受け流したままにしていたかもしれません。

教員だから「わかった?」という問いに「はい」という答えを期待してしまうのですが、彼らの使う「はい」は”yes”ではない複雑なものがあるような気がしてなりません。そういう点でも、学生の言葉ひとつひとつに感受性をもてる自分でありたいものです。
よく「鬼太郎の妖怪アンテナみたいに、情報のアンテナを頭につけておかなきゃだめだよ」と、冗談交じりに学生に話すのですが、学生だけではなく自分もアンテナ張り巡らせておかなくてはいけませんね。
スポンサーサイト












管理者にだけ表示を許可する


トラックバックURL:
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。