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2010/08/31(火)
『”ぜいたくが許されない人々”』
本文引用はしませんので、リンク先から確認してみてください。

誠/ニュースを考える、ビジネスモデルを知る
より、「ちきりんの”社会派”で行こう!」の”ぜいたく”が許されない人々

福祉社会の基本理念を学ぶ際に必ず出てくるキーワードのひとつに「normalization」というものがあります。
ノーマライゼーション(あるいはノーマリゼーション)と呼びます。

normal(形容詞:普通の)

normalize(動詞:普通にする、普通にさせる)

normalization(名詞:普通にすること、普通にさせること)

専門用語の訳語としてはもっと難しい言葉がたくさんありますが、より平坦な言葉で説明するならば、これで十分だろうと思います。
さらに踏み込んで「それじゃ、普通って何だ?」というところが大切だと思うのです。
自分にとっては普通なことも、他の人にとっては普通ではないこともあります。「普通」の概念規定を問えば、「そんなの人の感じ方によって違うものだよ」という人もでてくるでしょう。それはそうです。しかし、「個性」を考えれば、当然対極にあるものにも注目していかなければなりません。

健康で文化的な最低限度の生活を保障する生活保護制度の保護基準を思い返すと、ぜいたくかそうでないかのラインは、その地域での普及率が約70%を越えているかどうかです。
それがイコール「普通」になるかどうかはともかく、一つの判断基準にはなるのではないかと思います。



一市民の多くが享受している生活水準を、誰もが享受できる。それがノーマライゼーションです。
ちょっとの息抜きすら敵対視されるような社会にはなりたくないものです。



(ぼやっきー)
ただ、高熱でうなっている子どもをほったらかしにして、外で遊びに出ちゃうような親とかはどうかと思いますけどね。親としての努めと個人の息抜きを天秤にかけたら、やっぱり親としての努めのほうが重いのは当然だと思います。
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